「ゴチソー」というのは年代と世代に大きく関係するものだ、と思っているが、そうなると特出してくるのは、小学生の頃の味だ。
「コロッケパン」は、ぼくたちの間に頼もしく君臨した。それまで手にした、あまりふくらみのないパンは小さな家庭工場のようなところでこしらえられていたのに違いない。
コッペパンがあらわれたときは欧米の匂いがしたもんだ。
小学校近くの通学路に戸板を二枚並べ、少し傾斜をつけた臨時パン屋さんの前にぼくたちは並んだ。未亡人組合主催の臨時店だ。
未亡人――という意味をぼくたちはよく知らなかった。だらしない行列だったりふざけたりしていると怒られた。学校の先生よりも怖かった。家から弁当を持ってこなかったりした生徒が並んでいたが、コッペパンの真ん中を横一文字に切って、そこにイチゴジャムかバターピーナッツを塗ったものが十五円。おばさんによってそれらの塗りかたに差がある。お客さんである子供らは微妙なそれを見分けて、いくらか厚く塗ってくれるおばさんの前に列をつくる。リーダーのおばさんにそれを発見されて列が正される。タタカイなのだった。
あるとき、ここにコロッケをはさんだ「コロッケパン」が登場した。大ニュースがかけまわる。コロッケは一ケはさまれて二十円。
横一文字に切ったコッペパンの真ん中に揚げたてアツアツのコロッケがはさまれている風景は感動的だった。
五円高くなるけれど、ジャムなどと違って、塗りかたの厚みの差はない(はずだ)。
ぼくたちは、そこにソースをいっぱいかけてもらうように「おばさん、ソースだぼだぼね」と、しきりに言った。そこでももっぱらジャムの薄塗りのおばさんはソースをちょこっとしかかけてくれない。コロッケコッペパンの上手な食べ方は「アイヨッ」ってわたされたそれを両手の指でつよく押す。中央から端のほうにしっかり押してコロッケをまんべんなくひろげていく。その一心だけに集中した。おたのしみはこれからなのだ。
エッセイは原文のまま掲載しています。
椎名 誠(しいな まこと)
1944年、東京生まれ。作家、エッセイスト。1979年より、小説、エッセイ、ルポなどの作家活動に入る。主な作品は、『犬の系譜』(講談社)、『岳物語』(集英社)、『中国の鳥人』(新潮社)、『黄金時代』(文藝春秋)、『失踪願望。コロナふらふら格闘編』(集英社)『続 失踪願望。さらば友よ編』(集英社)など。
趣味は焚き火キャンプ、遠くへ行くことで、モンゴルやパタゴニア、シベリアなどへの探検や冒険ものなど、旅の本も多数。
〈公式HP〉https://www.shiina-tabi-bungakukan.com