「食」と「農」のエッセイ

日本ペンクラブ会員の著名人によるリレーエッセイ

第83回 きむ ふなさん
リンゴを食べながら

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「いただきます」という食前のあいさつが好きだ。大学に入って日本語を学びはじめた頃、手を合わせるこのあいさつに少し戸惑った。クリスチャンや仏教徒の宗教的な祈りに見えるが、それにしては短すぎるのだ。
 私の国、韓国にも食前のあいさつはある。「잘 먹겠습니다(チャル モッケッスムニダ)」で、直訳すると「よく食べます」。用意してくれた人に感謝し、おいしくいただく気持ちを伝える言葉である。しかし、毎日食卓を囲む家族の間で言うのは、改まった感じがする。普段は、皆がテーブルに集まると食事がはじまり、何かを言うなら、英語圏の「Let’s eat」のように、「さあ、食べよう」といった感じ。手を合わせるのは食事をはじめる合図なので、何か言わないと、食べはじめるタイミングが分からない、と日本の友人に言われたことがある。韓国では少し前まで、年長者がスプーンを取ってから、が合図だった。今でも儒教の国としての礼儀作法ではあるが、核家族になり、祖父母より子を大事にするような家庭ではどうだろう。そういう意味でも「いただきます」は、平等なあいさつだと思う。
「いただく」には食べると飲むの他に、すべての食材の、その「命をいただく」との意味があるという。八百万の神々の国らしいが、自然界のすべてに霊魂が宿っていると考えるアニミズム的な自然観と命への敬意は、気候変動による危機的な状況にある今日こそ必要な思想ではないだろうか。
 そこから連想される、韓国の詩人、ハム・ミンボク(1962~)の「リンゴを食べながら」という詩がある。「リンゴを食べる/リンゴの木の一部を食べる/リンゴの花にまぶしく注いだ陽ざしを食べる/リンゴをいっそう青くした恵みの雨を食べる/リンゴを揺らすそよ風を食べる/リンゴの木を包んでいた雪片を食べる」とはじまる。そして、リンゴを食べることは、その木の上を通り過ぎた虫の記憶と鳥の鳴き声を食べることであり、リンゴを育てた人の汗と研究者の知識、そしてリンゴ農家の娘が眺めていた空を食べることだと続く。それゆえ、リンゴを食べることは、その滋養分となる土、土を支えている地球の重力、リンゴの木が存在できるようにした宇宙を食べることにまで広がる。命をいただくということは、生命の循環に参加し、自然と一つになることなのだ。
 猛暑と台風を耐え忍び、命を育ててくれたすべてに感謝し、この詩を胸においしくリンゴをいただく。

第83回 きむ ふなさん リンゴを食べながら
イラスト:はやしみこ

きむ ふな

1963年韓国生まれ。日韓の文芸翻訳者。著書は『在日朝鮮人女性文学論』、波田野節子、斎藤真理子とともに編著した『韓国文学を旅する60章』。和訳は、2024年にノーベル文学賞を受賞したハン・ガンの『菜食主義者』『引き出しに夕方をしまっておいた』(共訳)。津島佑子・申京淑の『山のある家 井戸のある家 東京ソウル往復書簡』と、辻仁成・孔枝泳のコラボ作『愛のあとにくるもの』を日韓で翻訳。

きむ ふな
『涙の箱』
ハン・ガン著 きむ ふな訳 評論社
『涙の箱』
ハン・ガン著 きむ ふな訳
評論社
日本ペンクラブ

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