私の生まれは泉州堺、まごうことなき関西人だ。紆余曲折を経て、今は江戸落語を生業としている。
幼少の頃、母親、関西でいうところのおかん、そう、おかんの手料理が苦手だった。何しろ彼女は若かった。貝塚市の山奥から堺へと嫁ぎ、二十四歳で私を産み、姑の経営していた婦人服雑貨店を継いだので何をするにも懸命で、料理にまで手が回らなかったのだろう。
いや、それなりに頑張って調理にも取り組んでいたはずなのだが、幼心にうちの食事はどうしてこうもまずいのだろう、なんて思っていた。ひどいせがれだ。相当手のかかるガキだったことは間違いない。
手巻き寿司のシャリがべちゃついてる、ハンバーグは玉ねぎが多すぎる、餃子も具がまずい等々、いつも文句をいって残したあげく、インスタントラーメンやスナック菓子ばかりを食べていた。
特におかんの作ったカレーが苦手だった。手間をかけているヒマがなく、ブツ切りにした具をぶち込んだシャバシャバのカレー。特にはっきり見える玉ねぎがどうしても喉を通らない。野菜嫌いのイチローのカレーのように、ジューサーにかける工夫など望むべくもない。だから口にするカレーは、ルーに玉ねぎが溶け込んだレトルトカレーのみ。
小さかった頃、私はアトピー体質だったのだが、絶対偏食のせいに違いない。ゆえに大人になってからは、出された食事はなんでも口にするよう心がけている。今となっては、おかんの荒っぽい手料理が懐かしく感じたりするから勝手なものだ。
が、噺家という職業に就いてから、わけあって一度も実家に戻らないまま、三年前におかんは亡くなった。あんなに苦手だったあの味を噛みしめる機会を喪失したまま、現在に至っている。
毎年夏になると北海道へ巡業に出かけるが、その際、必ず口にするのがラーメンではなくスープカレー。ルーに溶け込んでおらずはっきり認識できる玉ねぎ、母なる大地が育んだ肉と野菜が存在感を増すシャバシャバのカレー。
母…、そうか、これはおかんカレーの進化系なのだ。
「よういわんわ」
そんな声が聞こえてきそうだ。
かんにんな。どんならん子やったね。

桂 歌蔵(かつら うたぞう)
噺家、作家。1964年生まれ。大学卒業後に単身渡英して半年間放浪し、帰国後、噺家になることを決意する。1992年、桂歌丸に入門。1996年に二ツ目、2005年に真打へと昇進。二ツ目時代より新聞や雑誌にエッセイを連載するとともに、小説や紀行本を数多く出版。日本国内にとどまらず、海外公演にも積極的に取り組んでいる。
角川書店
日本ペンクラブ
日本ペンクラブとは、詩人や脚本家、エッセイスト、編集者、小説家など、表現活動に専門的、職業的に携わる人々が参加、運営する団体です。
https://japanpen.or.jp/