「食」と「農」のエッセイ

日本ペンクラブ会員の著名人によるリレーエッセイ

第90回 三科清一郎さん
大平原と街路樹の蜂蜜

著者のプロフィールはこちら

 東京に生まれ育ち、農業にはとんと縁がない。本格的な農地に初めて足を踏み入れたのは53年前、米中西部ノースダコタ州の大平原で、中2の夏休みのホームステイ先だった。ただただ一面の麦畑で隣家も見えない広さ。同い年の農家の長男がコンバインを楽々操るのに、自分は何もできない。彼我(ひが)の差は圧倒的で、こんな大国に戦いを挑んだ日本が信じられなかった。
 15年後に新聞社の駐在員としてワシントンに赴任、麦畑も再訪した。米国では日本のコメ市場開放を求める強風が吹いていた時期だが、現地の農業団体の中にはそうした対日圧力に反対する意見も聞かれた。大きな声の陰には多様な異論があるのだ(とはいえ、「令和の米騒動」で久しぶりに食べたカリフォルニア米は結構いける味だった)。
 それから30年余り。東京・大手町の(JAビル隣の)新聞社で定年に達したころ、そこから徒歩15分ほどの神田の町会役員になった。神田祭に熱をあげていたら、住民でもないのに声をかけられた。どこの町会も人手不足だ。
 東京のど真ん中で改めて目を凝らすと、其処かしこの町名に田の字がついている。すべてが水田の名残というわけではないが、神田、福田、須田、桜田、飯田、それに区名からして「千代田」である。美土代もあるし、多町は「田町」だった。大平原の麦畑に比べると顕微鏡的な小ささだが、千代田1番(皇居)には水田があり、お田植えされた稲が青く育っている頃だろう。
 超ミニサイズの畑も点在する。平賀源内が住んでいた界隈の中学校跡地には、ワイン用に植えたブドウの木が10本ほど。ビルの屋上緑化用に育てたサツマイモは焼酎に化け、地元老舗の立ち飲み居酒屋で昼から飲める。「神田藍の会」は神田内外で地域の住民や企業に鉢植えや花壇で藍を育ててもらい、染めの体験も地域で共有する。
 区内の街路樹などから集めた華やかな蜂蜜が「和花(のどか)」の商品名で売られている。2月に神田駅近くの地域活動拠点watageで、野生のタンポポを食べる催しがあり、根っこのきんぴらや肉巻きを試した。神田にも綿毛は舞うので、隙間に根差せば牛蒡に似たつまみになる。
 実り豊かな千代田区には大きな声の狐狸(こり)も棲む。永田町とかいう荒れ地にだが。

第90回 三科清一郎さん 大平原と街路樹の蜂蜜
イラスト:はやしみこ

三科清一郎(みしな せいいちろう)

1959年生まれ。元日本経済新聞記者(主に国際ニュースを担当)。日本ペンクラブでは会報副委員長 兼 国際委員 兼「ふるさとと文学」実行チームメンバーとして各種ペン活動を記録。東京都千代田区の鍛冶町二丁目町会常任理事、専修大学文学部客員教授。シャンソン歌手としても活動。

三科清一郎
広報誌『PEN JAPAN』(一社)日本ペンクラブ
広報誌『PEN JAPAN』
(一社)日本ペンクラブ
日本ペンクラブ

日本ペンクラブとは、詩人や脚本家、エッセイスト、編集者、小説家など、表現活動に専門的、職業的に携わる人々が参加、運営する団体です。
https://japanpen.or.jp/