「食」と「農」のエッセイ

日本ペンクラブ会員の著名人によるリレーエッセイ

第78回 山内マリコさん
母のお雑煮、父の梨

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 結婚してこの十年、正月のお雑煮はいつも夫が作っていた。夫が自分の実家の味を再現した餅菜がメインの名古屋のお雑煮を、「美味しい美味しい」と言って食べていたのだが、昨年末にスーパーで赤海老のパックを見た途端、どうしても自分の実家の味が恋しくなった。わたしは富山県の出身である。
 昔、母がお雑煮を作っているそばで味見係をしていた記憶を掘り起こし、ネットの力も借りつつ、レシピや手順のイメージを固めていく。母は赤海老を別のお鍋で煮ると縁側に置いて冷ましていた。おそらくその鍋の汁を“かえし”につかっていたのだと予想。昆布とカツオの出汁で、鶏肉、にんじん、ネギを具合よく煮て、赤海老の香りがついたほんのり甘い醤油ベースの汁を、味を見ながら足した。
 料理センスに乏しいわたしにしては会心の出来だった。限りなくあの味だ。あの食卓の味。正月の実家、暖房とコンロの熱が混ざりあった、生暖かくて気怠い空気が蘇る。テーブルには父がいて、母がいて、兄と、まだ十代そこそこのわたしがいる。

 いつか会得したいと思っていた「実家のお雑煮」をついに攻略できた。残されたミステリーといえば、梨だ。
 秋になると父から「マリコ、梨いるけ?」と電話がかかってきて、「呉羽梨」を箱で送ってくれた。呉羽山という、富山県の真ん中を南北に走る丘陵で育てられた梨だ。これが美味い。大変なジューシーさ。シャクっと齧ると季節の生命力を補給している感覚があり、旬のくだものはこんなに体に英気を与えてくれるものなのかと驚いた。
 毎年恒例になっていたこの梨がぱったり届かなくなったのは、父があの世に行ってしまったから。父がいなくなった年の秋に、そうだ、あの梨はもう届かないんだと気がついた。

 人と紐づいて思い出される味は、なにも秘伝のレシピだけじゃない。贈ってくれたもの、届けてくれたものにも、その人は宿る。父はあの梨を、どこで入手していたんだろう。父はどちらかというと夏の男であり、亡くなったのは冬だが、梨の季節がいちばん、父が恋しい。

イラスト:はやしみこ

山内マリコ(やまうち まりこ)

1980年富山県生まれ。2012年『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)でデビュー。映画化された『あのこは貴族』(集英社文庫)のほか、『パリ行ったことないの』(集英社文庫)『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』(マガジンハウス)『一心同体だった』(光文社)などの著作がある。『買い物とわたし~お伊勢丹より愛をこめて~』(文春文庫)『結婚とわたし』(ちくま文庫)ほか、エッセイも多数執筆。

山内マリコ(やまうち まりこ)
『きもの再入門』KADOKAWA
『きもの再入門』
KADOKAWA
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