「食」と「農」のエッセイ

日本ペンクラブ会員の著名人によるリレーエッセイ

第81回 グレゴリー・ケズナジャットさん
町の一部をいただく

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 秋の味覚には目がない。きのこやかぼちゃ、さつまいもに栗、晩酌の肴として炒り銀杏。毎年この頃、街中に現れる紅葉模様の飾りを見るだけでよだれが出る。
 故郷も四季のある地域で、ここへ渡ってくる以前も毎年秋を経験していたが、頭の中では秋は日本と連結している。向こうでも紅葉狩りのため山へ出かけたり、アメフトを観戦したり、ハロウィンに向けてかぼちゃをくり抜いたりするなど、その地域ならではの季節の楽しみはあった。しかし季節とともに食事が変わることはない。土壌が貧弱な地域で、農業は皆無に等しく、僕は年中季節を気にせず、スーパーで買ってきた同じメニューを食べていた。
 その習慣が変わったのは日本に来てからだった。大学卒業後にこちらに渡り、しばらく京都府の山奥の町の小中学校で英語を教えていた。その町の規模や人口は偶然にも故郷とほぼ同じだったけれど、雰囲気はまるで違う。何よりも農業が盛んで、町のあらゆるところに田んぼや畑が広がっていた。そんな昔ながらの田園風景に一目惚れした。
 景色がよかっただけではない。季節の移ろいに合わせて食卓も常に変わった。春には近くの川で取れた鮎を食べに、勤め先の学校の同僚と出かけるのが恒例行事だった。夏になると、近所の方が畑からの採れたてのトマトや茄子を家に届けてくれた。その町で過ごした秋を思い出すと、その光景の記憶とともに匂いや味の思い出も浮かんでくる。小学生たちと一緒に灯油ストーブを囲んで食べた、ローカルな食材でできた給食。秋祭りの提灯に照らされた夜道を歩きながら頬張った焼き芋。
 農作業を日常的に見ていると、それらはすべて、単なる食べ物ではなく、自分の生活のすぐ隣で丁寧に栽培されていたものであることを意識せざるを得ない。食事するたびに、その町の一部が自分の一部となり、人生で初めて、食事のありがたみという言葉を本当に理解できた。
 仕事のため都会へ引っ越して久しいが、今でも秋のものを食べるとあの町へ思いを巡らす。食材は再びスーパーで調達するものになったけれど、そのありがたみは忘れていない。

イラスト:はやしみこ

グレゴリー・ケズナジャット

小説家。1984年米国サウスカロライナ州生まれ。2007年、外国語指導助手として来日。2017年、同志社大学大学院文学研究科国文学専攻博士後期課程修了。主な作品に『鴨川ランナー』(京都文学賞)、『開墾地』(早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞)など。法政大学グローバル教養学部准教授。

グレゴリー・ケズナジャット
『トラジェクトリー』文藝春秋
『トラジェクトリー』
文藝春秋
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