季節の移ろいを食で感じるのは、私の幼い頃からの食の手習いの賜物でしょうか。農村に育って、子供でも女の子は食べごしらえの手伝いをしました。家の庭先には畑がつづいて、白菜やネギ、大根、ごぼう、里芋に八頭(やつがしら)などが季節ごとに変わりながら常備菜として植わっていました。
まず春の訪れを知るのは、ふきのとうが冷たい土から、丸い頭を出したときでしょうか。ふきのとうは細かく刻んで味噌と砂糖でご飯のおともになります。苦みで春を楽しみます。茎が伸びる頃には、そのふきの薄皮をむき、水に浸してアクを抜いて煮つけもよく作りました。
この時期、孟宗竹(もうそうちく)の竹林では、祖父が見事な手技で筍を掘りだしてきます。筍は先っぽの柔らかい部分や姫皮はワカメと一緒に味噌汁になり、真ん中は厚揚げと一緒に煮物になって、根元部分は筍ご飯になりました。祖母と一緒に竈(かまど)の前で藁(わら)や枝打ちをした木をくべて、釜でご飯を炊いていましたが、炊き立ての筍ご飯のおこげの握り飯がとても美味しかったのを今も覚えています。そう、立派な山うども出ました。今でもその山うどは我が家の庭に出てくれますが、山うどをゆがいて、酢味噌で食べるのも絶品です。
当時は、春の田んぼに蓮華が一面に咲き、よくお弁当をもって遊びに行きました。畔(あぜ)や土手には紫色のスミレの花が可愛く開き、その脇で、私はのびるの玉を一生懸命に抜いて家へのおみやげにしました。“のびるの味噌和え”は家族が好きな料理でした。思い返せば、その味噌も我が家の蔵でつくっていたのですね。
幼い私に祖父母も両親も「家屋敷には実のなるものを植えよ」と教えました。柿、銀杏、杏や桃、ポポゥ、柚子に蜜柑(みかん)、林檎に枇杷(びわ)等が、庭や畑にぐるりと植わっていました。「生きることは食べること。食は生命、隣近所と協力し合って作物を作って生き延びよ」と農の道を植え付けたのです。戦争を生き抜いた世代でした。義父母も農業一筋の人で、義父は長く農協の組合長をやって、農業を大事にしていました。令和の我が家は五十年前と同じように、畑や庭の農作物が季節を食で知らせてくれます。有難いこと。守っていきたいと思います。

岡田晴恵(おかだ はるえ)
作家、大学教授。専門分野は感染症学、公衆衛生学、児童文学。共立薬科大学大学院を修了後、順天堂大学にて医学博士、国立感染症研究所などを経て、白鷗大学教育学部教授。地球環境問題に危機感を持ち、医学とファンタジーを融合させ、病気や感染症、地球環境問題などをわかりやすく描く。『小さい魔女と大きい魔女 ローズと汚れた海』(ポプラ社)は水質汚染と病気と生命倫理を取り上げている。
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