第71回 嵐山光三郎さん

茄子漬け物の活け造り

 漬け物の基本は塩漬けである。『東大寺正倉院文書』、平城京木簡(もっかん:荷札)に塩漬け奈須(なす)の記載があり、当時の市場ではかなり高価な野菜であったことがわかる。
 平城京は、いまは土の中だけれど、あの京址に茄子を植えたらいかがであろうか。
 夏の終りに奈良を旅すると、沿道の畑に黒光りする茄子がなっていて、しゃがみこんで見とれてしまう。茄子の漬け物が好きで、自分で漬けてマルゴト食べてしまう。
 ぼくが師事していた深沢七郎オヤカタは埼玉県菖蒲町でラブミー農場を経営していた。深沢さんはタケノコが好きで、はじめて会ったときは、物干し竿をかじっていた。ステテコを干している竿のはじっこがボロボロになっていました。深沢オヤカタは『楢山節考(ならやまぶしこう)』という小説でデビューした小説家で、以前は日劇ミュージックホール(ストリップ劇場)でギターを演奏していた。
 自給自足の生活をする異色の小説家で、ぼくも物干し竿のもうひとつのはじっこをかじらせてもらった。前歯が折れそうになった。
 そのお礼に茄子の漬け物を持っていくことにした。深沢オヤカタは物干し竿をかじりすぎて、歯が欠けていたので、ヌカ漬けの茄子の活け造りにした。これは江戸時代の高級和食店が客に出した。茄子の実を、枝になったまま漬け物にして客に出したという。
 茄子は山形産の小茄子を使う。山形県の親しい農家へ行き、小茄子の苗を七本買い、一本ずつ鉢に植えた。農家から畑の土も七鉢ぶん貰ってきた。鉢に苗を植えて一カ月ほどたつとスクスクと育ち、茄子の花が咲いた。茄子の実が五つつき、形のいい茄子ひとつを選んで育てた。やがて全長五センチほどの実がなった。ビニール袋にヌカをつめて茄子の実を包んでなったまま漬け物にした。
 最初の鉢はヌカドコの塩分が強すぎて萎れてしまった。塩分を調整して茄子の実を乗せる小さな台も作った。三鉢めにうまく漬かった。茄子の漬け物の横に一輪だけ花が咲いているのも風流だ。茄子漬け物の活け造りをダンボールの箱に入れて、朝一番の電車に乗って、ラブミー農場までお届けいたしました。四十五年前の思い出です。

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イラスト:はやしみこ
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嵐山光三郎(あらしやま こうざぶろう)

1942年、静岡県生まれ。『太陽』『別冊太陽』(平凡社)編集長を経て作家活動へ。『素人庖丁記』で第4回講談社エッセイ賞受賞。『芭蕉の誘惑―全紀行を追いかける』で第9回JTB紀行文学大賞を受賞。『悪党芭蕉』は、第34回泉鏡花文学賞、第58回読売文学賞 評論・伝記賞をダブル受賞した。ほかに『追悼の達人』『文人悪食』『「世間」心得帖』『枯れてたまるか!』『超訳 芭蕉百句』など著書多数。

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『老人は荒野をめざす』
ちくま文庫

2024.11更新

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