第1回 下重暁子さん

『故郷喪失』

 母の故郷は新潟県の上越市板倉町(現:板倉区)の山場にある。かつての地主で、通称「上のうち」と「下のうち」の今井家と吉田家。一帯を収めていた。溜池を2つ持つ稲田は見渡すかぎりたわわに稔り、倉が3つ。大黒柱は抱きつけないほどの大きさで仏間の格天井には絵が描かれていた。
 座敷の北側の縁からは、良く晴れた日には、日本海と佐渡の島影が見えることもあった。父は東京でしかも転勤族だったから、2・3年ごとに住所が変わり、落着かない子供時代に、私にとっての故郷は、母の生まれ育った家だった。夏場は、水瓜(すいか)やまくわうりが清水で冷え、米の産地だけあって、戦中戦後と食物に苦労せず、私達が生き延びられたのも、この場所あっての賜物だった。
 冬場は「雁木(がんぎ)の下に高田あり」といわれた豪雪地帯。3〜4メートルの雪積に電線も埋もれ、2階から出入りする。初めて訪れた時は新井駅からそりに乗って連れてゆかれた。珍しい雪遊びでわら靴をぬらすたび、祖父がいろりで乾かしてくれる。
 だが祖父が亡くなり、農地解放を経て、後を継ぐ人がなく、叔父が亡くなってからは近隣の人が毎年雪囲いに、雪降ろしの面倒を見ていたが、「下のうち」の縁につながるのが私一人になって、ついにとり壊すことになった。
 山林などは公共機関に寄付をするのにも金が必要で、私は東京で仕事をしているので、諦めざるを得なかった。
 面倒を見てくれた隣の人から「今年で最後だから見に来て下さい」といわれ、秋、叔父の植えた30本の桜の下の古い家に別れを告げ、蔦のからまる倉や、信越国境の山々につながる稲田を見納めた。
 こうやって一軒ずつかつての家が失われていく。隣家に田んぼなどはみな譲り、きれいさっぱり、私の故郷は失われてしまった。叔父が書斎にしていた倉の2階の本棚から岩波新書2冊を抜いて階段を降りると「まむしに気をつけて」と隣人が言った。
 上越新幹線の上越妙高駅から車で15分。便利になったが、雪という自然には勝てない。
 更地になった故郷を見たくはない。「跡地にぶどうを植えました」という知らせと共に今年も新米が送られてきた。

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イラスト:今井夏子
下重暁子

下重暁子(しもじゅう あきこ)

作家。早大卒。NHKアナウンサーとして活躍後、民放キャスターを経て、文筆活動へ。近年は『家族という病』『極上の孤独』がベストセラーに。公益財団法人JKA元会長。日本ペンクラブ副会長。

「年を重ねて、今がいちばん」大和出版 最新刊

2019.01更新