第4回 吉岡 忍さん

「青ばつ」のこと

「あおばつ」という字がわからない。
「あお」は「青」だろうが、いくら考えても「ばつ」の字がわからない。青大豆、青豆のことである。
 私が生まれ育った信州佐久では、青ばつはありふれた食べ物だった。ひと晩水に浸した(これを、ほとばす、と言った)豆を数分茹でる。固めに茹でるのがコツだ。そのまま醤油をかけて食べてもよいし、数の子を適度に刻んで混ぜるのもよい。だし汁に漬けると、ひたし豆になる。餅に混ぜると豆餅になった。祖母も両親も「まめまめしく(勤勉の意)なるから、いっぱい食べな」と言った。
 見た目も味も枝豆にそっくりだが、枝豆は未成熟な大豆のことで、青ばつは成熟しても青いままだから、どうやら種類が違う。田舎では畑でも、田んぼの畦でも作った。佐久ばかりではなく、軽井沢、小諸、上田、野辺山一帯でも青ばつと呼んでいた。このごろは青ばつの豆腐とか、豆乳とか、味噌や醤油まであるという。
 しかし、東京で暮らすようになって、ずいぶん長いあいだ私は青ばつを口にしなかった。こんな豆、どこでも売っているだろう、と思ったのが大間違いで、スーパーにもデパートの食品売り場にもなかった。
 再会したのは東北である。東日本大震災のあと、私は一年近く被災地に滞在し、いまもときどき訪ねているのだが、その帰り道、北上山地に抱かれた町の食料品店や道の駅に立ち寄ると、たいてい青ばつを売っている。しかし、どこでも200、300グラムずつビニール袋に入れて、棚の隅っこに並べているということは、このあたりでもありふれた食べ物扱いなのだろう。ただし、名称は青大豆とか青豆である。
 以来、私は行く先々で青ばつを買い込み、同行しているカメラマンやスタッフにも配ることにした。もちろん「どういう豆ですか」と聞かれる。特に西日本の人たちは知らない。「あのね、これは青ばつといって、枝豆みたいなものだけど、ちょっと違うんだよな。えーと」と、何度説明したことか。とうとう「青ばつの茹で方レシピ」なる自作印刷物まで持ち歩いて配ることになった。
 するとまた質問が飛んでくる。
「で、この『ばつ』って何ですか?」
 私も知らない。
 誰か教えてくれません?

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イラスト:今井夏子
野中 柊

吉岡 忍(よしおか しのぶ)

作家。長野県出身。早大在学中に反戦運動参加後、数十ヵ国を取材。1986年、日航機墜落事故を描いた『墜落の夏』(新潮社)で講談社ノンフィクション賞受賞。BPO放送倫理検証委員、番組各賞の選考委員を歴任。日本ペンクラブ会長。

「ペンの力」集英社新書

2019.04更新