第9回 志茂田景樹さん

卓袱台と日本の食の原型

 今の我が家は畳の部屋がなくなった。しかし、テーブルに上がる主食は圧倒的にご飯である。ちょっと郊外に出ればすぐに水田の光景が広がり、理屈抜きにホッとする。日本人の心象風景にリンクするからだろうか。
 ところで、食生活を除く生活様式が洋式化しても全室が和式時代の我が家の生活必需品で忘れがたいものがある。それは折り畳み式の卓袱台である。
 夕食時が近づいて台所から煮物や、煮魚の匂いが漂ってくると、僕は真っ先に茶の間の畳に座った。しばらくして母が卓袱台を広げる。すると、出張時以外は職住接近と言っていい近場に職場があって、午後5時過ぎには帰宅し夕刊を読んでいた父が僕の右斜め向かいにきて胡坐をかく。
 次に、千葉県の成田方面に疎開していた大蔵省税務講習所(現在の税務大学校)に2年近く在籍し繰り上げ卒業により自宅に戻っていた兄が父の左隣に、女学校生の長姉が兄の左に、国民小学校生の次姉が長姉の左に座ると、僕の右隣だけが空くことになる。
 この間、母は卓袱台におかずの皿を運び、それを長姉が手伝うことが多かった。母は最後にお櫃を運んで、
「さあ、ご飯にしましょう」
 と、口にするのが習慣だった。
 ご飯はまず父の茶碗によそわれ、次いで兄、長姉、次姉、僕の順でご飯をよそった茶碗が手渡された。明瞭に記憶にある、この光景は昭和20年に入ってのものである。
 その年の8月、終戦の月に兄は20歳で戦死した。戦後の昭和26年に長姉がお嫁に行って卓袱台を囲む家族は4人になった。次姉も30歳を過ぎて国際結婚をしてアメリカへ渡った。卓袱台を囲む家族は3人になり、寂しくなった。しかし、食卓に並ぶおかずは品数が増えて豊かになった。煮魚とトンカツの組み合わせのように主菜が2つ並ぶこともあった。
 我が家から卓袱台が姿を消して感じることがある。周りを海に囲まれた細長い日本列島は水田がどこへ行っても広がっている。どこへ行っても最寄りの漁港まではそんなに遠隔の地ではない。ご飯がいっぱい食べられて海の幸が卓袱台を豊かに彩る。それこそが日本の風土に合った日本の食の原型なのだと確信する。
 そのことを機会あるごとに次代を担う子供たちに伝えていきたい。

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イラスト:今井夏子
志茂田 景樹

志茂田 景樹(しもだ かげき)

作家・よい子に読み聞かせ隊隊長。
1940年静岡県生まれ。1980年小説「黄色い牙」で直木賞受賞。2014年「キリンがくる日」で日本絵本賞読者賞受賞。バラエティー番組にも多く出演。1999年「よい子に読み聞かせ隊」を結成、全国各地で読み聞かせ活動を行っている。Twitterのフォロワーが41万人を超えるなど、多くの若者にも支持されている。

「キリンのあかちゃんがうまれた日」ポプラ社
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2019.09更新