第12回 松本侑子さん

『赤毛のアン』の保存食

 私の子ども時代は昭和40年代、ふるさとの出雲ですごしました。母の里は農家で、蔵のとなりに小さな味噌倉があり、台所に味噌がなくなると、明治生まれの曾祖母が手ぬぐいを姉さんかぶりにして味噌倉へ行き、自分で育てた大豆から作った味噌を器に盛っていました。町のスーパーで売っている味噌にはない、麹のいい香りに驚いたものです。庭の梅で梅干を作るときは、塩漬けにした梅を日に干し、一つ一つ、長い菜箸でひっくり返し、あんこにする自家栽培の小豆は、むしろに広げて、虫食いの豆をとりのぞいていました。かんぴょうの大きな丸い実は薄くそぎ、さおに干していました。そうした曾祖母の顔は真剣でありながら、どこか楽しげで満足そうでした。
 私は『赤毛のアン』シリーズの全文訳をしています。第一巻は、親のないアンが、独身で生きてきた兄妹(60代のマシュー、50代のマリラ)に引きとられ、それぞれが初めての愛を知り、幸せになる小説です。この物語の魅力の一つは、手作りの暮らしが心豊かに描かれることです。
 アンを育てるマリラも保存食を作ります。ラズベリーの果汁を甘く煮てジュースにしたラズベリー水、カシス(すぐり)の果汁をイーストで自家発酵させたカシス酒。アンは、親友ダイアナを招いたお茶会で、ラズベリー水のつもりで、うっかりカシス酒を出して酔っぱらわせて騒動になります。
 またマリラは、野生林檎やプラムの実をつんで砂糖煮に。飼っている豚は、肉を塩漬けにして保存し、食べる時に畑の青菜と煮て食卓に出しています。牛からしぼった乳は、保存するために乳脂肪分に塩をまぜて発酵バターに、乳も発酵させてチーズをこしらえます。
 冷蔵庫がない時代の女性は、大切な食糧を長く持たせるために、塩漬け、発酵、砂糖煮、天日干しにして、せっせと保存食をこしらえたのです。昔の働き者の女性たちの知恵と工夫にしみじみと心打たれながら、いまは亡き曾祖母の味が懐かしく、心からありがたく、遠く思い返されるのです。

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イラスト:今井夏子
小池真理子

松本 侑子(まつもと ゆうこ)

作家・翻訳家。1963年生まれ。『巨食症の明けない夜明け』ですばる文学賞、評伝小説『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』(光文社文庫)で新田次郎文学賞。日本初の全文訳『赤毛のアン』シリーズ全8巻(文春文庫)刊行中。毎年、カナダ『赤毛のアン』プリンスエドワード島ツアーを企画・同行解説。2020年6月4日〜6月10日の第18回ツアーを受付中。

日本初の全文訳・訳註付「赤毛のアン」文春文庫
日本初の全文訳・訳註付 
「赤毛のアン」
文春文庫

2019.12更新