中学生になってお弁当が始まり、母が毎日持たせてくれるようになった。
正直なところ、私はあまり嬉しくなかった。大正一桁生まれの母が作るそれは、茶色ばかりのおかずが詰め込まれていたからだ。だいたいが野菜の煮しめで、季節によって変化はするが、蕗や蓮根、大根、南瓜、人参、里芋等々である。唯一鮮やかな色合いを持つ玉子焼きも、煮しめの汁を吸って半分は茶色くなっていた。その上、ご飯が茶飯の時もあり、とにかく見栄えが地味だった。
較べて、友人たちのお弁当はコーンやトマトで彩られ、隅にイチゴが添えられたりして華やかだ。それに憧れて、母に何度か申し入れたが、最後まで変わることはなかった。昭和40年代、私の故郷、金沢での話である。
野菜が嫌いだったわけじゃない。あまりに日常的に食卓やお弁当に野菜が並んでいたので、特別な思いがなかったのだ。
しかし、今はわかる。あの頃に食べていた野菜の多くは加賀野菜だった。甘栗かぼちゃ、源助大根、加賀つるまめ、へた紫茄子、金時草……。なかなか手に入らなくなった今、贅沢だったなぁとつくづく思う。
大人になって、野菜がたまらなく美味しく感じるようになった。健康面というだけでなく、身体が、もっと言えば心が、野菜を欲しがっている。
母が夏になるとよく作っていた加賀太きゅうりの煮物がある。普通のきゅうりと違って肉厚で柔らかく、重さが600グラムほどにもなる。煮てからあんかけにして、冷やして食べるのだが、金沢ではまさに夏を代表する総菜である。摺り下ろした生姜をたっぷり載せるのが我が家の定番だった。
毎年作るのだが、理想の味になかなか辿り着けない。しっとり崩れるあの食感、ちょっと甘めの出汁加減、あんのとろみ具合。何かが足りない。いや、過剰なのかもしれない。母が生きている間に、もっと作り方のコツを聞いておけばよかったと後悔している。


唯川 恵(ゆいかわ けい)
1955年、石川県金沢市生まれ。銀行勤務などを経て、84年「海色の午後」でコバルト・ノベル大賞を受賞。2002年「肩ごしの恋人」で第126回直木賞、2008年「愛に似たもの」で第21回柴田錬三郎賞を受賞。近著に「みちづれの猫」「淳子のてっぺん」等。

集英社