福島県とは何かと縁が深い。付き合いのある人、お世話になった人にもなぜか福島県人が多い。彼らから贈っていただいた桃を最初に食べた時は衝撃だった。こりこりと固い。桃は柔らかいとの私の思い込みは完全に撃破されてしまった。桃は固くて美味いのだ。
滝桜で有名な福島県三春町の臨済宗福聚寺(ふくじゅうじ)の住職で芥川賞作家の玄侑宗久さんと親しくさせてもらっている。以前のことだが、福聚寺で座禅を組んだ後、一緒に酒を飲んだ。座興で玄侑さんから「富士山を荒縄で縛って持ってこい」という公案を示された。私は、それを解いた。玄侑さんは本気で驚き、「商売に差し支えるので答えは誰にも言わないように」とくぎを刺された。私は、頑なに秘密を守った。そのうちにせっかくの解答を忘れてしまったのだ。再度、同じ公案を示されても正解する自信はない。
玄侑さんと飲んだ酒があまりに美味くて以来、福島の酒の大ファンになった。福島は日本有数の酒処だ。幻と言われる「飛露喜」は滅多に飲めないが、「大七、ロ万、天明、会津娘」などは頻繁に飲む。深夜にかけて原稿を書き、明け方に飲む「天明」のとろぉりと体に沁み込む味わいは筆舌に尽くしがたい。これを至福と言うのだろう。
酒が美味いのは、福島の米、水、そして空気がいいからだ。こんなにも美味い酒や米、その他の農産物を禁輸にしている国があることを私は許せない。原発事故による放射能汚染が原因だが、全く問題ないとデータを開示しても禁輸措置は、いまだに解除されない。
2月の中旬に事故を起こした福島第一原発の復旧状況を視察した。案内してくれた東京電力復興本社の幹部は「風評被害が一番悩ましい」と顔を曇らせた。都内で福島フェアを開催すれば農産物・加工品などが飛ぶように売れる。ところがスーパーではなかなか売れない。風評被害で一旦、通常の販売ルートから外れると、復元するのはなかなか困難らしい。友人を通じて福島米を購入している私は、美味い福島米が消費者に順調に届かない状況を知り、悔しくなった。
風評被害は、外国の禁輸措置の問題ではなかったのだ。日本人である私たちの問題だ。原発事故から9年も経った。それにも関わらず、いまだに福島産品が風評被害に晒されている現状は、日本人として恥ずかしいのではないだろうか。


江上 剛(えがみ ごう)
兵庫県出身。77年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。97年「第一勧銀総会屋事件」に遭遇し、広報部次長として混乱収拾に尽力。その後のコンプライアンス体制に大きな役割を果たす。2003年3月に退行。銀行員としての傍ら、02年「非情銀行」で小説家デビュー。サラリーマンの悲哀を描いた「失格社員」や、大倉喜八郎の生涯を描いた「怪物商人」などの評伝小説はベストセラーに。

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