第25回 諸田玲子さん

キュウリ考

 しょっちゅう顔を合わせているのに印象に残らない。つまり存在感がない。まあ、9割以上が水分となればしかたないか。──キュウリである。大人になってぬか漬けやもろきゅうの美味を知るまでは、どこが良いかわからなかった。
 キュウリはインドが原産地で、前漢時代にシルクロードを経て中国へ伝播したため「胡(えびす)の瓜」と呼ばれていた。南北朝時代になると「黄瓜」と呼ばれるようになり、奈良時代頃の日本へ入ってキウリがキュウリになったとか。瓜は瓜でも、公家や幕府への献上用に珍重された大和瓜とちがって、こちらは大正時代まで「下品の瓜」と見下され、黄門様(徳川光圀)にも「食べるべからず」とそっぽを向かれたらしい。
 大人になって……と書いたけれど、私はそれ以前に一度、この不当に軽んじられてきたキュウリに感激したことがある。正確な名は不明だが、母が作ってくれた「竜ぎり」だ。キュウリに蛇腹のような切れ目を入れて、唐辛子や黒酢やごま油など中華風のたれで漬け込む。大人気で、家族からリピートをせがまれ、母は溜飲を下げていた。
 感激といえばもう一度。後年、マラケッシュの市場で味わった、冷たい水瓶に入れて売られていた胡瓜だ。日本円で一本10円くらい。丸ごと齧ったときの、あの瑞々しさといったらなかった。
 私はバブル期をまだ作家ではなくOLとして過ごした。当時は余裕があったのか、会社には雑多な人間があふれていた。仕事はしないのに宴会になるとはりきるオジサンもいたし、周囲を笑わせるためだけに全精力を注ぐお調子者もいた。影が薄くているやらいないやら、幽霊社員と呼ばれる人も。盛大に悪口を言い合いながら、だれもが相手の存在を認め合っていた。キュウリだろうが瓜だろうが。
 野菜より魚や肉を好む年齢を過ぎて、今や私のメインディッシュは野菜である。手作りの(ありあわせの野菜をミキサーにかけた)ジュースと根菜ごろごろの味噌汁が毎日欠かせない。お節介もお調子者も、存在感があってもなくても、野菜たちはみな愛おしい。

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イラスト:今井夏子
諸田 玲子

諸田 玲子(もろた れいこ)

静岡生まれ。1996年『眩惑』でデビュー。2003年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、07年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞、18年『今ひとたびの、和泉式部』で親鸞賞を受賞。『女だてら』『ちよぼ』など歴史・時代小説多数。

「しのぶ恋 浮世七景」文藝春秋
「しのぶ恋 浮世七景」
文藝春秋

2021.01更新

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