餅をのどに詰まらせたら電気掃除機で吸い取るのがよい、と雑誌に出ていたので、89歳の老母が、雑煮を祝う際には、あらかじめ掃除機の先端を外し筒だけにし、スイッチを入れ、私が消防士のように筒を持ち構える。
妻がサイコロ大の焼き餅を十分にさまし、固まったところで母の椀に入れる。母がおもむろに汁を飲み、餅を口にする。ゆっくりと噛み始める。私と妻は、かたずを飲んで見守る。ずいぶんたって母が飲みこむ。無事に、のどを通ったようだ。私は掃除機のスイッチを切り、胸を撫でおろす。妻は溜息をつく。
これが正月中くり返される。老母は餅が大好物であった。餅を味わわないと正月の気分になれない、と言った。
掃除機がやかましくて、めでたい気がしないね、と文句をつけたが、仕方ない。
私の故郷は茨城県の赤土の台地で、さつまいもの産地である。紅優甘(べにゆうか)や紅まさり、紅こがね等の品種を、毎年どさっと送ってくる。食べきれない。量をこなすため、芋餅をこしらえることを思いついた。
「芋餅ってジャガ芋で作るのでは?」妻がけげんがる。「北海道ではね。ゆでジャガをつぶして片栗粉で餅状にするようだけど、芋餅の場合は、ふかし芋をペーストにし、掌で丸く平べったい形にして天日に干すだけ。簡単」「干芋とは違うのですか?」「形が違う」
近頃は干芋の人気に押されて芋餅は見なくなったけど、昔は珍しくなかった。
作ってみた。手間はかからぬ。干しあげて固くなったそれを炙(あぶ)って味見したら、存外イケる。正月の餅はこれにしよう、と決めたが、おいしいので正月が来る前に平らげてしまった。改めて作る気になれぬ。いつもの餅になった。
気がつくと餅の嚥下(えんげ)に用心せねばならぬ年齢になっている。実際、ヒヤリとすることがあった。因果なことに夫婦とも大の餅好きときている。掃除機の無粋な世話になりたくない。芋餅代用を、真剣に考えている。


出久根 達郎(でくね たつろう)
1944年、茨城県生まれ。
古書店を営みながら執筆を続け、92年『本のお口よごしですが』で講談社エッセイ賞、93年『佃島ふたり書房』で直木賞、2015年『半分コ』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『おんな飛脚人』『作家の値段』『隅っこの四季』『名言がいっぱい』『人生案内』他。

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