第28回 澤田瞳子さん

ぽろたんが来た

 季節の実りほど愛おしいものはない。初物を食べれば、ああ、今年もこんな時期になったのだなあと感じ、シーズン終わりに差しかかると去り行く季節を惜しむ。さっと火を通すだけで美味しいお多福豆やアスパラガスなどが嬉しい一方で、タケノコ、フキ、落花生など、食べるためにずいぶん手間がかかる季節の実りも、店先で見かけるとついつい手が伸びる。
 去年の秋、母が突然、「栗を2キロ、買うことにしたから。すごく剥きやすい品種なんだって」と言い出した。確かに、栗は家族全員の大好物だ。ただ美味しく食べるまでの手間暇を思うと、2キロもの栗と格闘するのはひと仕事である。
 剥きやすいといっても、結局は栗だ。どのみち最後は面倒に感じながら皮剥きをするのだろうなと考えた、その半月後。届いた「ぽろたん」という品種のその栗はびっくりするほど大粒だったが、添付の説明書通りに調理を始めて、更に驚いた。いつもあれほど苦労する鬼皮や渋皮が、その名前の通りぽろぽろと剥けるのだ。
 調べてみると、日本の栗は甘味が強くて味はいいものの、渋皮が剥きにくいのが欠点。積年の研究と交配でそれを克服し、2007年に品種登録された新種がこのぽろたんだという。
 告白すると私はこれまで、品種改良というものを他人事のように捉えていた。もちろん、現在の日本でもっとも多く作られているコシヒカリを始め、数々の農作物が長年の研究と開発によって生み出されてきたことは、知識として知っている。しかし二十一世紀になった今もなお、我々の食べ物に更なる改良の余地があるという事実が、よくわからなかったのだ。
 ただ考えてみれば、農業の開発は決して日本人だけの問題ではない。一粒でも多く実をつけ、少しでも病冷害に強い農作物が生み出されれば、人類の飢餓と貧困はその分、遠のく。農業のもたらす恵みを大きくすることは、一人の個人の幸せではなく、世界の幸福に直結するのだ。そう思うと、ぽろたんは栗の皮ばかりではなく、私の目の鱗もぽろりと剥いてくれたのかもしれない。
 ちなみに2キロの栗は、あっという間になくなった。かくして私を含めた我が家の面々はすでに、次なる秋の実りを楽しみにしている。

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イラスト:今井夏子
湯川 れい子

澤田 瞳子(さわだ とうこ)

1977年京都市生まれ。同志社大学文学部文化史学専攻卒業、同大学院博士課程前期修了。奈良時代仏教制度史の研究を経て、2010年『孤鷹の天』(徳間書店)で小説家デビュー。同作により第17回中山義秀文学賞を最年少受賞。13年、『満つる月の如し 仏師・定朝』(徳間書店)で第32回新田次郎文学賞受賞。16年、『若冲』で第9回親鸞賞受賞。20年、『駆け入りの寺』で第14回舟橋聖一文学賞受賞。その他の著作に『落花』(中央公論新社)、『能楽ものがたり 稚児桜』(淡交社)など。

「火定」PHP文芸文庫
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2021.04更新

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