子どもが独立して一人暮らしになってからというもの、あっという間に手を抜き始めたのが食事づくりだった。子どもがいるときには自分なりに素材にも気を遣い、調理方法も工夫してあれやこれやと食べさせた。けれど、一人になってみれば、どんどん手も、気も抜けて、気がつけば仕事の合間に、台所で立ったままふりかけごはんを食べていたりした。
これではいかん、と強く思って、時間のあるときに作りおきの野菜のおかずを作るようになった。冷蔵庫に三、四品すでにおかずがある、と思うと心強い。作るのはだいたい決まっていて、キャロットラペ、ピーマンのおかか和え、プチトマトやセロリのピクルス……なかでもキャロットラペが大好きだ。まず、千切り、という作業をしているとストレスがゆるゆるほどけていく。
このキャロットラペ、作り方を調べると色々な方法があるのだが、要は千切り人参をオリーブオイルなどの油とマスタード、塩胡椒、砂糖、酢やハーブなどで和えるのが基本になるようだ。
私は、ひとつの食べ物でいろいろな食感が楽しめるものが好きなので、林檎の千切りや、ドライクランベリー、レーズン、くるみやアーモンドのみじん切りを入れたりもする。砂糖を黒糖や蜂蜜にしてみたり、酢を白ワインビネガーにしてみたり、粒マスタードを入れたりと、様々にアレンジすれば、味に飽きることがない。このキャロットラペとパンと、卵料理があれば、立派な食事である。クリームチーズを塗ったパンにサンドイッチの具として挟んでもおいしい。
あるとき、ある人からキャロットラペの人参は荒いチーズおろし器(チーズグレーター)を使うといい、と聞いてから、チーズなど滅多におろさないのに、キャロットラペ用にネットでポチッとしてしまった(意外に安く、千円以内で買えた)。さて、チーズおろし器でおろした人参はまるで泡雪のようにふわっふわっ。私が指の痛みに耐えながら、苦労して千切りにしていたあの手間はなんだったのか。きんぴらごぼうのようだった私のキャロットラペが、元来のフランス生まれの料理になった瞬間だった。
窪 美澄(くぼみすみ)
東京都生まれ。2009年、女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞しデビュー。2011年『ふがいない僕は空を見た』で山本周五郎賞受賞。2012年『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞受賞。2019年に『トリニティ』で織田作之助賞受賞。