正司敏江・玲児と聞いて、ピンとくる人は同世代のはずだ。別れた夫婦で漫才をやっていた。敏江が苦労して育てた娘が働き出した。初任給で母にご馳走をするつもりの娘は、母に尋ねた。「モチにするか、テキにするか?」
テキはビフテキの略、今で言うならステーキだ。これと匹敵する贅沢が餅、という発想に昭和の田舎の匂いがする。
テキがサシの入ったA5の和牛だとする。その上で餅かテキかと尋ねられたら、私は悩んだ末に餅を選ぶだろう。私がフランス系アメリカ人の父を持つことを知っている人は、きっと驚くに違いない。さらに驚くべきことに、関西出身の母が餅嫌いだった。
母の最晩年の正月のこと。病院に雑煮の差し入れをした。苦手な餅は小さく刻んでおいた。一口目で母は、餅だけぺッと吐き出した。そこまでくれば、いっそ天晴れである。
餅は母に愛されなかったぶん、娘の寵愛の対象となった。私が初めて餅のつきたてを心ゆくまで堪能したのは、パリだった。大学都市の日本館では、正月に餅つき大会をする。私は住人ではなかったが、お声がかかった。湯気の立つ餅は、餡子やきな粉の助けが無くとも、つるりと上あごを抜け、喉に落ちた。食感が、そのまま味だった。それを確かめるように、次から次へと呑んでいった。
気がつくと、体が動かない。胃袋の形をした餅が、重石となって、手足の自由を奪っている。住人の一人に頼み込んで、他人のベッドで休ませてもらった。留学生仲間の顰蹙を買ったのは言うまでもない。
そこまで食べる体力はもはやないが、思わぬところで餅に出会うと、テンションが上がる。地元横浜の大岡川は、桜並木で知られている。コロナ前は屋台が林立したものだが、この春は一部の出店が復活していた。
桜吹雪の中、ビール片手にそぞろ歩いた。もう片手には、大根おろしのからみ餅。目の前で機械がこねる餅を、店主が片手で絞って一口大にする。その鮮やかな手捌きが食欲を後押しする。ビールの次は日本酒にした。もう片手には、五平餅。米の粒が舌に心地よい。パリを懐かしみながら、花より餅、の夜は更けた。
荻野アンナ (おぎのあんな)
作家、慶應義塾大学名誉教授。1956年神奈川県生まれ。慶應義塾大学博士課程修了。ソルボンヌ大学博士号取得。1991年『背負い水』で芥川賞受賞。2001年『ホラ吹きアンリの冒険』で読売文学賞受賞。2008年『蟹と彼と私』で伊藤整文学賞受賞。近著は『老婦人マリアンヌ鈴木の部屋』。