毎年夏になると、私は信州安曇野(あづみの)の山荘に暑(しょ)を避けて過ごすのが子供の頃からの習いとなっているのだが、そこでの楽しみの一つは、新鮮で安価な果物である。とりわけ八月初めには季節も終わりの小粒な苺が、どさっと安く買える。それで私は毎年手製のジャムを作るのだ。
東京では、苺は冬から春先にかけてが旬ということになってしまったようだが、私どもの子供時代には、鯉のぼりが泳ぐ初夏の頃がベストシーズンだったように記憶する。その頃、苺は浅い杉箱に収められて店頭に出たものだ。粗削(あらけず)りの板の箱に藁のクッションと柔らかな敷き紙を置いて、そっと苺が並べられていた。その多くは福羽苺(ふくばいちご)というもので、静岡あたりの陽光豊かな石垣で栽培された故に、石垣苺とも呼ばれていた。福羽苺は福羽逸人(ふくばはやと)博士が作り出した日本初の品種だそうだが、いやいや、それは十分に味わい深いものだったように思う。
イギリスでは、苺は夏のものだ。PYO(Pick Your Own)と謳(うた)って、畑で自分で摘んで買ってくるのが今でも盛んである。たいていは露地栽培で、しかも雑草を敢えて抜かずに育てる。そうすると、雑草と競争して株が丈夫に育ち、また雑草の葉陰になるので実が日焼けしないという利点がある、とイギリスの農園の人が教えてくれた。緯度の高いイギリスの夏は冷涼で、害虫もはるかに少ないので、こういうことが可能なのかもしれぬ。
あの頃は、リンゴだったら、国光(こっこう)、紅玉、印度林檎、なんてのを食べていたし、梨ならば長十郎か二十世紀、と決まっていた。いまは紅玉リンゴを除いては、ほぼ東京の店頭で見かけることはなくなってしまったけれど、今それらの古典的品種の果物を食べてみたらどんな味がするだろう……と、ふと思うことがある。とりわけ、あの鯉のぼりの時節の福羽苺に再びまみえることができたら、案外素朴な味で美味しく感じるかも知れないなあ、という気がするのだが、どうであろうか、さて。
林 望(はやしのぞむ)
作家、国文学者。1949年生。慶応義塾大学大学院博士課程満期退学。『イギリスはおいしい』で日本エッセイストクラブ賞、『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』で国際交流奨励賞等受賞。古典論、エッセイ、小説の他、歌曲等の詩作、能楽、料理書等、著書多数。2013年『謹訳源氏物語』(全十巻)で毎日出版文化賞特別賞受賞。最新刊『春夏秋冬 恋よこい』(春陽堂書店)。