日本の食文化の豊かさは、なんといっても野菜の豊富さに拠るところが多い。季節ごとに店頭を彩る数々の野菜。短い旬を逃すことなく「すべてをいただく」日本の食文化の精神を私は誇りに思っている。
80年代の終わりに結婚してすぐ、アメリカは東海岸ニューハンプシャー州の小さな町に住んだ。当時、新米主婦の私にとってアメリカのスーパーでのショックは、なんといっても野菜が日本とはあまりに違うことだった。キュウリもなすもすべてが大きいし水っぽい。葉物などは多少傷んでいても色が変わっていても平気で売り場に並ぶ。アメリカ人の買い物かごをのぞき見ると生野菜を買う人はほとんどいない。かごの中に見えるのは巨大な冷凍野菜の袋だ。三つ葉やシソ、ミョウガ、あの繊細で芸術品のような日本の野菜を何度夢見たことだろう。
ある日、このスーパーに大根らしきものを発見した。大根といっても一本まるまるではなくあちこちに土がつき、しかもボキボキと折れているものが無造作に山積みになっている。手に取ってよく見てみると、これは紛れもなく大根だ。私は小躍りして折れた大根を数本かごに入れてレジに進んだ。するとレジ係が「What
is
this?(これ、なに?)」と聞く。え、あなたこれ売ってるんでしょ? お客にそれ聞く? と思ったが、こんなことはアメリカのレジでは日常茶飯事。「これは大根という日本の野菜で、煮てもおいしいし、おろせば消化にいいし、生でサラダにいれてもOK」と説明した。喉から手がでるほど欲しかった日本の野菜。家に帰り折れた大根を丁寧に洗い、皮をむき厚めに切ってコトコトと煮てみた。これだよ!
これ!
残りの大根はキッチンペーパーを湿らせて包み、その上からラップを巻いて保存。冷蔵庫に大根が常備されていると思っただけで心丈夫だった。
最近の日本のスーパーでの楽しみは今まで見たことのない新種の野菜との出会いである。ホワイトセロリやサラダ春菊、今日は45センチほどある長いアスパラガスを見つけた。日本の野菜はすごい。日々これ進化で私たちを楽しませる。でも新しい野菜を見るたびに、なぜかあの土にまみれた折れた大根を思い出す。あれは確かにおいしかったと。
中井貴惠 (なかい きえ)
1978年東宝映画「女王蜂」でデビュー。1983年東映映画「制覇」で日本アカデミー賞助演女優賞受賞。
1998年より「大人と子供のための読みきかせの会」代表。小津安二郎監督作品の音語り公演「小津安二郎映画を聞く」シリーズ、絵本を朗読する「おとな絵本の朗読会」を全国で公演中。エッセイ・翻訳絵本など多数出版。