若い頃、スーパーで食料品を買うのは割と簡単でした。決まっているからです。決まっているといっても、あらかじめ決めてあるのではなく、店に入ってから、一番安いもの、特売のものを買う。選択権は私にあるのではなく、スーパーにありました。うん。とても簡単。
食べたいときに食べたいものを買いたいなあ〜。と、毎日思うのですが長い間、食べたいときに食べたいものを買うという1歩がなかなか踏み出せないでいたのでした。
それは懐かしい思い出として半世紀が過ぎ、今は毎日ではないにしろ食べたいものを買えるようにはなりました。
そんなあるとき、知り合いから、ネットで注文を取って週に一度無農薬野菜を配達してくれるSさんの存在を教えてもらい、頼むことにしました。
取りあえず、ホームページのリストに並んでいる野菜を片端から注文。キュウリ、九条ネギ、ツルムラサキ、ズッキーニ、千両ナス、トウモロコシ、トマト等々。無農薬なので、値段は高めです。
届けられた野菜を使って料理を作ります。キュウリの酢の物。ツルムラサキの和え物。ズッキーニと豚肉の炒め物。
無農薬だからといって、ものすごくおいしいわけではありません。コクはあるような気がしますが、それだって無農薬だからと考えているせいかもしれません。
では、スーパーの野菜と同じかというと、明らかに違いました。妙な言い方ですが、野菜が体になじんで、スッと入ってくる感じなのです。なんの足し引きもない、野菜本来の香りや味だからかもしれません。体が、そうそうこれが欲しかったと言っていました。本当に不思議な体験でした。それ以降、Sさんの届けてくれる野菜が待ち遠しくなったのです。
ところで、Sさんの仕入れてくる野菜は、季節によって変化していきます。夏にキャベツや白菜を食べたいと思っても、手に入りません。冬にトマトやナスを食べたいと思っても手に入りません。季節季節の恵みを受け取るしかないのです。
こうして私の野菜生活は、食べたいときに食べたいものを買うから遠ざかり、季節と天候(雨や雪次第で、欠品になることしばしば)まかせになったのでした。けれども、今回の事態には満足している私です。
ひこ・田中(ひこ・たなか)
1953年生まれ。児童文学作家、評論家。1990年『お引越し』(第1回椋鳩十児童文学賞)にてデビュー。『ごめん』(第44回産経児童出版文化賞JR賞)。幼年童話に「レッツ」シリーズ。長編作品に『なりたて中学生』(第57回日本児童文学者協会賞)。評論に『大人のための児童文学講座』などがある。最新作は『あした、弁当を作る。』。