昨今、テレビ・ドラマの影響で手話がブームになっている。しかし私はそれとは関係なくずっと前からハマっていて、秘かに手話通訳を視野に入れながら練習に励んでいる。勿論、日本手話である。外国語習得の秘訣はその言葉を母語とするネイティブとの交流。れっきとした言語である手話も例外ではない。手話講習会に通うほか、ろう者との付き合いを深めるため、地元の手話サークルにも入っている。そこでの楽しみの一つはなんと言っても「交流会」と称して繰り出す、勉強終了後の飲み会。そこが一番上達するとさえ言われている。まあ、これは半分口実に過ぎないのかも知れないが。
ともあれ、私たちは毎週同じ居酒屋になだれ込む。日本酒も和食も最高に美味しい店だ。加えて、ろう者の「食」を表現する指の器用さに至っては、芸術の域に達している。揚げ出し豆腐、天ぷら、和牛ステーキ、手羽先、里芋のコロッケ、合鴨の塩焼、お茶漬けなど、料理を表す固定語彙の他、ふわふわ、かりかり、ねっとり、ほくほく、分厚い、細い、丸い、甘い、酸っぱい、香ばしいなど、食感や形状、風味などを表すCL、いわば即興的手話も驚くほど的確で素早い。手話は無音の世界だが、非常に写像性に富んでいて、音声日本語とは別の、しかし決して劣らぬ美しさと魅力がある。
例えば、私の大好物の納豆を表す手話は、右手の人差指と中指を伸ばして「箸」を作り、左手を丸めた「器」を掻き混ぜて引っ張り上げる。納豆のねばねば感が見事に表現され、見ているだけで食欲をそそられる。
日本で暮らし始めて38年。海外に行くとわずか一週間で和食が恋しくなるほど日本の食生活が好きな私だが、仲間と手話を使いながら頂くと、料理もお酒も一層美味しくなる。
来年の秋、聴覚障害者オリンピックであるデフリンピックが東京で開かれる。競技自体も当然楽しみだが、世界中から集まったアスリートたちに和食の素晴らしさを本場でぜひ体験してほしいと思う。そして、国際手話や、それぞれの国の手話でその料理を視覚的にどう表現するのか、新鮮な食材を使った和食の繊細な食感と味わいに触れた時の喜びを指先にどう託すのか、今からわくわくしている。
デビット・ゾペティ
小説家、リフレクソロジスト。スイス生まれ。高校時代から独学で日本語を学び、1986年から日本在住。1996年、『いちげんさん』ですばる文学賞を受賞、芥川賞候補となる。著書に『アレグリア』、『旅日記』、『命の風』、『不法愛妻家』、『旅立ちの季節』など多数。