第37回 鳴神響一さん

いつなんだ?

 2007年の7月終わり。僕は東オホーツクにいて、北国の澄んだ夏空に浮かぶ斜里岳を撮っていた。
 シラカバ林の向こうからいつの間にか霧が忍び寄ってきて、峻麗なその姿を包み込んでしまった。代わりに目の前に拡がる花盛りのジャガイモ畑が浮かび上がってきた。霧の林と溶け合ってため息が出るほど美しい。
 弾む心でファインダーを覗いていると、ふと疑問が浮かんだ。「新ジャガの季節っていつなんだ?」
 当時、住んでいた茅ヶ崎市北側の住宅地はまわりに近所の農家の野菜畑がひろがっていた。本当にわずかな面積だが、ジャガイモの花も美しく咲いていた。だが、それは毎年5月初旬のことだ。
 目の前のジャガイモの花畑と2ヶ月半のズレがある。いったい新ジャガの収穫期はいつなのだろうか。
 新ジャガの皮つきポテトフライが大好きなのに、収穫時期を知らないことに僕はがく然とした。その頃、公立小学校の事務職員だった僕は、夏休みの終わりに栄養教諭の先生に尋ねてみた。
 ジャガイモは収穫後、1週間から3ヶ月もの間、乾燥させてから出荷するのだそうだ。新ジャガとは、通常より早穫りした上に、乾燥させないで出荷する贅沢なジャガイモなのだ。冷涼な気候で育つジャガイモは、2月頃にまず九州で収穫が始まる。桜前線のように産地が北上してゆき、夏から秋頃には北海道に辿り着く。収穫のない月は1月くらいで、旬は一年中だ。ジャガイモってすごい作物だし、全国の農家さんはすごい!
 新ジャガに限らず、ジャガイモは大好物なのに、そんなことさえ知らなかった。恥ずかしい限りである。
 学校の話が出たついでだが、給食にはジャガイモが実によく出てくる。というより、ジャガイモとニンジン、タマネギが出ない日はほとんどない。肉ジャガ、カレーライス、グラタン、コロッケ、スープ、味噌汁……。
 養護教諭の先生に聞いてみたら、ジャガイモにアレルギーを持つ児童はとても少ないそうだ。
 現在の小学校では児童のアレルギー傾向を把握して、栄養士と養護教諭が額をつきあわせ、魚介抜き、鶏卵抜き、小麦抜き、牛乳抜きなどのメニューを大変にきめ細かく作っている。十種類近いアレルギー対応食が生まれる。
 児童が食べる給食は、校長か教頭が事前に「検食」という毒味を行っている。二人の不在時は僕が検食をしていた。この際にはアレルギー対応食も少しずつ毒味するが、ジャガイモ抜きに当たったことは一度もない。
 話は変わるが、僕は小学校の5・6年生の一時期、ひどい食物アレルギーに陥った。当時は対応食などは作ってもらえず、毎日、母親が弁当を作ってくれた。学校側は僕が弁当を持参するのを嫌がったそうだ。
 母は料理があまり上手ではなかった。それでも、僕がジャガイモ好きなので、実家に帰る度にポテトサラダかポテトフライを山のように作った。食傷気味になった僕は「そんなにたくさん食べられないだろ」と、いつも文句を言っていた。だが、母が作る料理を食べられなくなって1年半が経ってしまった。
 ジャガイモの思い出は実はまだまだたくさんあるのだが、紙数が尽きたのでこの辺で。

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イラスト:今井夏子
角田光代

鳴神 響一(なるかみ きょういち)

作家。1962年東京都生まれ。中央大学法学部卒業。2014年に『私が愛したサムライの娘』で、第6回角川春樹小説賞を受賞しデビューする。同作で15年に第3回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『鬼船の城塞』『天の女王』『斗星、北天にあり』『風巻伊豆春嵐譜』の歴史時代小説のほか、『脳科学捜査官 真田夏希』『刑事特捜隊「お客さま」相談係 伊達政鷹』『SIS 丹沢湖駐在 武田晴虎』『おんな与力 花房英之介』などのシリーズがある。

『神奈川県警「ヲタク」担当 細川春菜2 湯煙の蹉跌』 幻冬舎文庫
『神奈川県警「ヲタク」担当 細川春菜2 湯煙の蹉跌』 幻冬舎文庫

2022.01更新

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