第35回 植松三十里さん

フランス王妃の農作業

 3年ほど前、パリに少し長く滞在する機会があり、ベルサイユ宮殿の日本語ツアーに参加した。すると日本語が堪能なフランス人ガイドさんが、興味深い話を教えてくれた。
 マリー・アントワネットは宮殿の敷地の一角に田舎家を建て、側近たちとお百姓さんごっこをしていた。その話自体は割合によく知られているが、それは単なる遊びではなく、国家的な農業展示場の意味があったという。昔からフランスは農業先進国で、海外からの使節団などに披露したらしい。
 さらに興味深いことに、私が訪れた際に、アントワネットの畑や田舎家の復元工事が、ちょうど進行中だった。復元費用を負担したのは、なんとディオール。土の香りから、もっとも遠そうなファッションの高級ブランドだ。
 そのパリ滞在中、私は食費の節約のために、せっせと自炊し、かの地の食材の豊かさに驚いた。近所の小さなスーパーマーケットに、新鮮な白菜が中華食材として売られ、ちょっと足を伸ばせば、冷凍枝豆や瓶入り柚子果汁が簡単に手に入る。特に柚子は大人気で、日本製のみならずフランス産も珍しくない。昔から農業先進国だからこそ、グルメ大国なのだなと実感させられた。
 話がコロコロ変わって恐縮だが、近年、フランス人が、いちばん好きな外国人は日本人ではないかと思う。古今東西、近隣国とは仲が悪いもので、フランス人はイギリス人やドイツ人には、軽い反感を抱いている。近隣ではないけれど、アメリカ人に対しては「ハンバーガーしか食べないやつら」と、やや上から目線を送っている。
 でも日本の文化には、かなり共感している気配がある。和食の奥深さのみならず、伝統工芸の繊細さなどが、彼らのこだわりに合致するらしい。確かに柚子のデリケートな香りを愛するのは、日本人とフランス人くらいだろう。
 かつてマリー・アントワネットが手塩にかけ、フランスが国の威信をかけて育てた作物は、さぞ立派に実っただろう。それを使った料理も世界最高水準の美味で、アントワネットたちの舌を満足させたに違いない。
 さらに、その施設復元の主がディオールとは。農業と美食とおしゃれは、究極のところで繋がっているのだなと思う。

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イラスト:今井夏子
植松三十里

植松 三十里(うえまつ みどり)

静岡市出身。東京女子大卒、婦人画報社編集局、建築事務所勤務などを経て2003年「桑港にて」で歴史文学賞受賞。2009年「群青 日本海軍の礎を築いた男」で新田次郎文学賞、同年「彫残二人」で中山義秀文学賞受賞。

「万事オーライ 別府温泉を日本一にした男」PHP研究所
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2021.11更新

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