東京から安曇野へ移り住んで30年近くになる。北アルプスを望む安曇野の林の中に家を建てたのは2000年だった。田舎暮らしの喜びはたくさんあるが、その一つに新鮮な地元の食材が手に入ることがある。やがて、畑仕事や山菜やキノコ採りを得意にしている知人が増え、採れたての野菜や野山の幸が届くようになった。いつも貰うばかりで恐縮していたが、林の中では家庭菜園もできない。もっとも土地があったとしても、野菜を作る“ずく”(精を出す気力、の信州弁)など持ち合わせていない。そんなとき、安曇野ちひろ公園の体験交流館で椎茸農家が原木の駒打ちから育て方まで指導してくれるという情報が入った。椎茸ならできるかもしれない、といそいそと出かけた。果たせるかな、椎茸が実った。毎年原木の数を増やし、春と秋の収穫時にはご近所さんにも少しは配ることができるようになった。
ある年、たくさんの小さな椎茸が顔を出し、今年は豊作だと喜んでいた。大きくなったころ、収穫をしようと朝起きて見に行くと、食べ頃の椎茸がことごとくなくなっていた。盗まれた!と思った。田舎にもひどいことをする人がいると悲しくなる。ところが原木をよく見ると、小さな椎茸までむしり取られている。取り方も雑だ。数日前、ご近所さんが猿に家庭菜園を根こそぎやられたと憤懣やるかたない顔で話していたことが思い出された。もしや、と調べたところ、猿の好物の中に椎茸もあるではないか。「猿のやつめ!」と怒りがふつふつと沸き上がり、仕事も手につかなくなった。丹精込めて育てたとは言い難い椎茸を取られただけで、これだけ悔しいのだから、農作物を荒らされる農家の人の怒りや悲しみはいかばかりだろうと想像する。
安曇野の自治体もサル対策には本腰を入れて取り組んでいるが、なかなか結果は出ない。猿の立場に立ってみれば、悪気があるわけでもなく、うまいものを食いたいだけなのだ。これは自衛するしかないと、金網で覆った椎茸小屋を、“ずく”を出して作り、金網には猿が嫌いだという、本物と見紛うほどのヘビの模型を置いた。
来客に自慢の椎茸小屋を見せたところ、「ギャ!」と叫んで逃げ出した。効果あり!? 以来、椎茸小屋に近づく猿はいない。
松本 猛(まつもと たけし)
1951年生まれ。美術・絵本評論家、作家、横浜美術大学客員教授、ちひろ美術館常任顧問。1977年にちひろ美術館・東京、97年に安曇野ちひろ美術館を設立。同館館長、長野県信濃美術館・東山魁夷館(現・長野県立美術館)館長、絵本学会会長を歴任。著書『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』(講談社)ほか。