第62回 楊 逸さん

「素」こそ、無敵

 三年ぶりに入った中華料理店はきれいに改装され、一律八百円だったランチメニューも千円に価格改定された。がっかりしたが、値上げの波が日本に押し寄せている現実を思うと文句を呑み下して、好物の「鶏肉のカシューナッツ炒めセット」を注文した。
 程なく料理が運ばれた。店長はテーブルにいったんトレーを載せ、食べやすいように位置を整えてから一礼し、「本日の鶏肉は房総の地鶏で、玉ねぎとピーマンは産地の千葉から直送したものです」と丁寧に説明してくれた。
「弊店は、安心安全の食事を提供するように頑張っています」と。
 コロナ禍や身内の不幸を経験した店長は「健康の基は食だ」と気づき、輸入食材を多く使う巷の中華料理店のイメージを打破しようと食材をこだわり始めた。東京近郊の農家を訪ねた末、肉も野菜も「産地直送」にしただけでなく、日本であまり一般販売しないという香菜や蒜苗(葉ニンニク)などの中華野菜も千葉の農家に無農薬栽培を依頼したそうだ。
 食材へのこだわりは、和食と中華とに差をつける要であろう。食材の旬と鮮度を味に生かすのは和食で、中華の場合は何でも、調味料や香辛料で味付けを濃くして誤魔化しが効くので、できるだけ安い食材を仕入れて、安さで集客をはかるのだという。
「人や物が優れて素晴らしい」ことを日本語で「素敵」と表現する。つまり「素」が「敵」―日本の価値観を端的に表しているのではないか。味を極めるならば食材を厳選する。そのおかげでスーパーでは「放し飼いの鶏」や「減農薬」「無農薬」野菜がよく見られるようになった。食材の「素」をとことん追求して作られる和食、無敵という以外何であろうか。
 目の前の「鶏肉のカシューナッツ炒め」はかつてのドロドロする厚いコロモがなく、醤油色もだいぶ薄くなった。味付けも「こってり」から「あっさり」に変わったと見映えでわかった。
 食べてみる。玉ねぎがシャキシャキしてみずみずしく、鶏肉はカシューナッツと相まって香ばしい。なんだか、すごく健康になった気がしてどんどん食べ進んでいった。

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イラスト:はやしみこ
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楊 逸(ヤン イー)

作家。1964年、中国ハルビン生まれ。1987年留学生として来日。1995年、お茶の水女子大学文教育学部卒業。中国語新聞の記者、中国語教師を経て、2007年『ワンちゃん』で第105回文學界新人賞を受賞し、作家デビュー。2008年『時が滲む朝』で第139回芥川賞受賞。日本大学芸術学部教授。

『蚕食鯨呑―世界はおいしい「さしすせそ」』
                        岩波書店
『蚕食鯨呑―世界はおいしい「さしすせそ」』岩波書店

2024.02更新

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