第32回 那須正幹さん

真っ白なご飯の話

 子どものころから食べ物の好き嫌いがなかった。これは80近くなった今でも変わらない。食卓に出されたものはなんでも食べる。
 これはもしかすると世代に関係するのかもしれない。生まれ落ちた時は、太平洋戦争まっただ中。食料品はすべて配給制だったし、それすらも遅配欠配が日常だった。この状態は戦後数年間続いたから、食べ物の好き嫌いなど言える状態ではなかった。サツマイモなどの根菜類が主食となり、コーリャン、飼料用のトウモロコシの粉、米ぬかなど、食べられるものは何でも食べた。要するに食事というのは、飢えを満たすためのもので、それを賞味する余裕はなかったのである。
 当時待ちどおしかったのが、10日分の米の配給だった。普段は3日分とか5日分なのだが、たまに10日分の配給があり、この日ばかりは母親がにこにこ顔で家族に報告し、その夜だけは混じりけなしの真っ白なご飯が食卓に並ぶのだ。
 当時は白米以外の雑穀も配給されていたが、そのうち外米というのが配給されるようになった。細長いタイ米で、炊き立てはなんとか食べられたが、冷や飯となると食べられたしろものでなく、お茶漬けか汁かけ飯にしてのどにながしこんだものだ。
 1993年、天候不良による米不足が深刻化したため、政府は急遽タイから大量の米を輸入し、内地米と抱き合わせで販売した。久しぶりにタイ米と対面したわけだが、子ども時代同様、うまいとは思わなかった。
 大凶作だった93年の収穫量は、783万トン、昨年の収穫量776万トンと、減少しているのにもかかわらず、米の消費量が減っているため、米不足にならなかったそうだ。まさに隔世の感というべきだろう。
 ところで食べ物の好き嫌いがないということは、味覚が鈍感なせいなのかもしれない。その証拠に有名レストランのイタリア料理だろうと、老舗の懐石料理だろうと、食べ終わってもさしたる感動をおぼえない。
 唯一私のごちそうは、炊き上がったばかりの真っ白なご飯で、これにふりかけをかけて食べれば、それだけで大満足なのである。

img_s
イラスト:今井夏子
那須 正幹

那須 正幹(なす まさもと)

1942年、広島県生まれ。
代表作に「ズッコケ三人組」シリーズ全50巻(ポプラ社)。『さぎ師たちの空』で路傍の石文学賞、「ヒロシマ」三部作で日本児童文学者協会賞、『ズッコケ三人組のバック・トゥ・ザ・フューチャー』で野間児童文芸賞を受賞。 絵本作品に『ふとんやまトンネル』、『ぼくらの地図旅行』などがある。第23回巌谷小波文芸賞受賞。近著に『めいたんていサムくんとあんごうマン』(那須正幹作 はたこうしろう絵・童心社)。

「めいたんていサムくんとあんごうマン」童心社
「めいたんていサムくんとあんごうマン」
童心社

著者の那須正幹さんは7月22日に急逝されました。心よりご冥福をお祈りいたします。

2021.08更新

閲覧数ランキング