第33回 木内昇さん

作物の声

 週に数回、近所に住む老母の御用聞きをしている。母は幸い元気だが、人混みに出ることが容易ではない昨今ゆえ、頼まれたものを代わりに手配するのだ。この買い物リストに、毎回登場するのがトマトである。
「また? この間、箱で買ったばかりだよ」
「もう全部食べちゃったのよ」
 デジャビュのごとく繰り返される会話に、恐々とする。なにしろ、日に2、3個は食べている計算なのだ。これが毎日。さすがに食べ過ぎだろう。そのうえ母は、庭で桃太郎トマトの栽培までしている。ここまで来ると、トマト好きの域を超えて、もはや中毒である。
 呆れる私に、母は言うのだ。
「ここまでトマトが好きなのは、たぶん、小さい頃の感動が尾を引いてるからだと思うのよ」
 終戦を5歳で迎えた母の幼少期は、食糧難とともにあった。祖父は戦前、和菓子店を営んでいたが、砂糖や小豆が手に入らない中では店を再開することもかなわない。戦争をなんとか生き延びても、生計を立てることすらなまなかではなかったのだ。
 母が6歳になった誕生日、祖父は、「なんにも特別なことはしてやれないけれど」と断って、ひとつのトマトを母に与えた。誕生日プレゼントだった。早速かぶりついて、そのみずみずしさと甘さに全身が震えた。こんなにおいしいものが、この世にあるなんて──その感激が、80歳を超えた今なお続いているというのだ。
 当時の野菜は、今のものよりえぐみも酸味も強かったろう。でも、きっとそこには野菜本来の濃厚な生命力が生のまま宿っていて、それが幼い母に気力と安心を与えたのではないだろうか。こういうものを食べていれば大丈夫、きっとあなたはこれからも生きていけるよ、と。
 当時の史料を読むと、「銀舎利」という言葉がよく出てくる。「白」ではなく「銀」。それほどにお米は貴重品だった。私は無類の米好きで、長年土鍋でご飯を炊いているが、蓋を開けてかぐわしい湯気に顔を突っ込むたび、この「銀舎利」という文字が頭に浮かぶ。
 食糧が十分に満ちている今も、作物はたゆまず人々に訴え続けている。大丈夫、きっと生きていけるよ──。たくましくてあたたかいその声は、いつの時代も、健やかな明日を連れてくるのだ。

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イラスト:今井夏子
木内 昇

木内 昇(きうち のぼり)

1967年東京生まれ。『茗荷谷の猫』が話題となり、09年早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。11年『漂砂のうたう』で直木賞、14年『櫛挽道守』で柴田錬三郎賞など三賞を受賞。他の作品に『よこまち余話』『光炎の人』『球道恋々』『火影に咲く』『万波を翔る』など。

「火影に咲く」集英社文庫
「火影に咲く」
集英社文庫

2021.09更新

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