第31回 阿川佐和子さん

僥倖ぎょうこうの野菜

 野菜が嫌いだという人に会った。肉は大好きなのだという。いったい身体は大丈夫かと問うと、「だって牛はいっぱい草を食べているんだから僕だって間接的には野菜を摂ってるんですよ」と。そんな理屈があるものか。
 私は野菜が大好きだ。小さい頃は、人参、ゴボウ、椎茸が食卓に出てくると困ったなと思ったが、大きくなるにつれて積極的に食べたいと思うようになった。
 瓜系の野菜が苦手だという人もいる。胡瓜、冬瓜、苦瓜、ズッキーニ。あの水っぽくて種っぽいところがどうやらダメらしい。その気持がわからないわけではないけれど、あの水っぽくて種っぽいところがおいしいのである。私は小学生のある夏、胡瓜に胡椒をかけて食べることになぜかハマった。マヨネーズでもなく塩でもなく、縦に切った胡瓜の表面にひたすら胡椒を振りかけてポリポリ音を立てて食べまくった。こんなにおいしいものはないと自負していたが、家族には「お前はキリギリスか?」と不審がられた。
 大学時代、トマトが大嫌いだという男友達がいた。なぜ嫌いなのかと聞いたら、子供の頃、赤いモノはすべて甘いと信じていて、トマトにかぶりついたらちっとも甘くなくてショックを受けて以来、食べられなくなったのだと話してくれた。気の毒なことだ。彼がイタリア人だったら、どれほど窮屈な生活を強いられただろう。
 アメリカで玉ねぎが嫌いだという女性に会ったことがある。持ち寄りのホームパーティに招かれて、私がカレーを作ると言ったら、「玉ねぎは入れないで。あの匂いがダメなの」と釘を刺された。そのカレーは、玉ねぎ、人参、ジャガイモ、生姜、ニンニクと骨付きの鶏肉をたっぷり入れて牛乳で伸ばすだけの簡単なインド風カレーであったが、「ニンニクはいいの?」と私が聞くと、「ニンニクは大好き」と彼女は答えた。ニンニクのほうが臭いと思われやすいだろうに。しかたがないのでそのときは、「玉ねぎ入り」と「玉ねぎ抜き」の二種類のカレーを作って持っていった。
 人の好き嫌いはそれぞれである。私のように小さい頃は苦手でも、大きくなれば好きになる場合もあり、どうしてそういう変化が起きるのかは謎だ。中には体質的に受け入れられない人もいるので無理に好きになれとは言えないが、「あれが嫌い」「これが苦手」と言われるたびに、私は自らの幸せを再認識する。すべての野菜を食べられる僥倖を野菜の神様と生産者の方々に感謝して手を合わせたくなる。
 母は生前、台所で大根を調理するとき、まず包丁で薄く輪切りにし、何もつけずにかじるのが常だった。「この一切れがいちばん、おいしいのよ」といつも母は嬉しそうだった。
 私も大根を切るたびに、どんな料理に加工しようかと思案しつつ、まずは一切れ、バリッとかじり、「おいしい!」と叫ぶのが癖になっている。

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イラスト:今井夏子
阿川 佐和子

阿川 佐和子(あがわ さわこ)

作家・エッセイスト。東京都出身、慶應義塾大学文学部卒業。TVでキャスターを務めた後、執筆を中心にインタビュー、テレビ等で幅広く活動。1999年『ああ言えばこう食う』(檀ふみ氏との共著)で第15回講談社エッセイ賞、2000年『ウメ子』で第15回坪田譲治文学賞、2008年『婚約のあとで』で第15回島清恋愛文学賞を受賞。2014年第62回菊池寛賞を受賞。

「ばあさんは15歳」中央公論新社
「ばあさんは15歳」
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2021.07更新

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